少年と犬とホテルマン
木々もほんの少し赤く色を染め始めた長鳴神社での午後のことである。鉄棒に寄りかかるようにして並ぶ少女と青年がいた。
「なるほど…この"鉄棒"はこのように…、いえ知っていましたよ、もちろん!」
ホテルマン風な装いの青年 テオドアは咳払いを一つして胸を張った。
紳士的かつ穏やかな物腰のテオドアだが、無知を指摘されることや、無知を認めたくないという風貌に似合わず子供らしい一面もある。それを知っている彼女、テオドアにとって客人であり仲間からは"リーダー"と呼ばれる彼女はそのギャップが可愛らしくて口元に手をあてクスリと笑みを零した。
笑われているのに気付き頬を微かに染めながら視線を落としたテオドアが、はっと気付いて胸元からハンカチを取り出した。
「おや、靴が汚れてしまっていますよ」
少女の足元に屈みこんで真っ白なハンカチで拭おうとするので、少女は慌てて止めた。
「い、いいよ!砂が少しついただけだし…綺麗なハンカチなのに汚れちゃうよ」
「何を遠慮なさっているのですか。貴方は私の大切なお客人です、どちらを大事に扱うべきかお分かりでしょう?」
先程の子供っぽさは何処へやら。流れるような動作で靴を磨かれ、口説き文句のようなことを素面で言われ、少女は思わずドキドキと高鳴ってしまった胸を深呼吸で抑えた。
「テオって…何て言うか…」
「何でしょうか 、!あれは…?」
丁寧に靴を磨いていた温かな黄金色の瞳が突然キッと神社の石段方向へ注視した。少女もその視線を追うように石段の方を見つめると、すぐ白い犬が颯爽と走ってきた。咄嗟に少女を庇う様に構えるテオドアだったが、少女がコロマル、と呼びかけたので手を降ろす。
「コロマルーそんなに急ぐなよー」
続いて石段の下から間延びした声。
「あれ…、リーダー?」
犬の後を追いかけてきた帽子を被った少年は少女に駆け寄ってから、隣のテオドアに気づいて頭を下げた。その後で少女に尋ねる。
「知り合い?」
「あ、うん」
「テオドアと申します。テオ、とお呼び下さい」
少女が説明する前にテオドアがスッと前に一歩出て胸に手を当てて自己紹介をする。聞きなれないカタカナの名前と日本人離れした顔立ちに一瞬目を奪われたようだったが、すぐ人懐っこい笑顔を向けた。
「テオ…さん?オレは伊織順平っス。こいつの 」
「存じております、ご友人ですよね。いつもベルベットルームから拝見させて頂いております」
「は?べる…?」
「あっ!え、えーと…お店!お店の名前!あ、あと…この辺りにテオもよく来るから見かけてたみたいっ、私もたまに寮の話とかするし!」
テオドアの発言に怪訝そうな顔をする少年、順平に慌てて少女が説明を加える。と言っても取り繕った嘘なのだが、ベルベットルームの存在を知らない順平には説明出来ないので仕方ない。当の本人は爽やかな顔で会釈しているが。
「…しかしオマエの交友関係、ホント広いな」
「まぁ、ねぇ…」
半ば感心したように言われ、少女は笑って誤魔化した。テオドアに関してはあまり深く突っ込まれると困る。まさか異世界の案内人などとは言えるはずもない。
少女の言葉を特に掘り下げることもなく納得した順平に、ワン、とコロマルが声をかける。自分の紹介がまだだと言いたげな様子に、順平は分かったって、と言いながらしゃがみこんで頭を撫でた。
「テオさん、こいつはコロマルっス。ウチの寮で面倒みてんスよ」
「面倒みてるっていうか…コロマルの方が順平より頼りがいあるけどね」
「ちょっと!オレの扱い!」
「…、…」
「?…テオさん?」
少女と話していた順平はコロマルを凝視しているテオドアに気付いた。指を僅かに動かし、何処か落ち着かない様子で瞳を好奇心で煌めかせているのを見て、もしかして、と思う。
「…コロマル、触りたいんスか?」
「えっ!?いえ、そんな、私は、別に 」
…ああ凄く触りたいんですね、少女と順平、二人の心情が一致した。慌てふためきながらも、ちらちらとコロマルを見る様からは誰がどう見ても興味津々にしか見えない。コロマルは首を傾げながらルビーのような深みのある眼をテオドアに向けた。
順平と少女は顔を見合わせる。そしてお互いに微笑んだ。
「コロマル、いいよな」
順平が促すようにコロマルの頭を優しく撫でるとワン、と頷くように一鳴きした。
好奇心と遠慮の間で躊躇っているテオドアに大丈夫っすよ、と順平はにっこり微笑んだ。コロマルはテオドアが触りやすいように座り、頭を少し下げて尻尾をゆっくりと左右に振って待つ。順平とコロマルを交互に見ていたテオドアだったが、大人しくしているコロマルにようやく手を伸ばした。
「…柔らかい。とても毛並みが良いですね」
遠慮がちに指先で、そしてやがて掌で、体毛に触れる。テオドアは感動したように二度三度と丁寧に頭や背を撫でた。口角も自然と上がり、目元も下がる。その様子を子供を見守る親のように二人は微笑ましく見つめていた。
「ちゃんとブラッシングしたり一緒にお風呂入ったりしてるもんねー」
「あぁコロマルほんと役得だよなぁ…羨ましーぜ」
「おや、愛らしい羽まで生えて…」
「いや、それ作りものだから、服だから…」
順平のツッコミも気にせず嬉々としてコロマルを撫で回す。それでもコロマルは目を細め、大人しくテオドアの手を受け入れていた。
「まぁそれにしても…」
テオドアがコロマルに夢中になっている間に順平は少女に耳打ちする。
「テオさん、すっげぇ美形だなぁ…どういう関係なワケ?」
「どうって…その、私はテオの客っていうか…」
「へぇ〜?言葉に詰まるところが怪しいですなぁ〜?」
「…馬鹿じゃないの?」
「冷めた眼はヤメテ!」
結局お約束通りのようなやり取りで済んでしまった。少女が本当に交友関係が広いということは順平は知っているが、それでもちょっとこの辺では見ないような美形な青年…いやむしろ人間臭くないというか、浮世離れしているというか、造形美術作品に近いと言った方が正しい気さえする透明感のある青年だ。先輩であり、学校ではファンが付いている程の真田と比べても勝るとも劣らない。まさかがないとも言い切れない。
「つーか、お邪魔…かと思ったんだけど 」
順平も周りからお調子者と言われるものの決して野暮ではない、二人の関係が"そう"であるなら邪魔する気は更々ない。なので、折を見て去ろうとするものの、まだテオドアはコロマルを幸せそうに撫でていた。
「…オレだけ帰ろっか?」
コロマル連れて散歩デートでもすりゃいいんじゃね?とニヤニヤを隠し妙に爽やかに言う順平に少女は肘打ちして黙らせた。
テオドアの興味はしばらく冷めることなく、結局三人と一匹は仲良く緩い時間を半日過ごしたのだった。
先の一件、長鳴神社での出来事から数日後のことである。
「あれ?」
放課後、学校の帰りにポロニアンモールへと立ち寄った順平は遠目からでも一際目立つ白髪、いや銀髪を揺らしている青年を見つけた。髪の色以上に雰囲気が浮いているので一目瞭然だ。
キョロキョロと困り顔で辺りを見回している。周りの人間も遠巻きに様子を見ているものの、その雰囲気からか、外国人に話しかけることに壁があるのか、一定距離を保ちつつ声を掛けようとはしない。
ほっとけない以前に順平にとってはもう知り合いだ。何をしているのだろうと首を傾げつつ、距離を縮めると青年も順平に気付いて顔を上げた。
「おや、貴方は」
軽い会釈すら指先一つまで気を配られた動きは優雅で他の人なら多少恐縮してしまうところだが、順平はいつも通り軽い調子で頭を下げた。
「テオさん、どうしたんスか?」
「ええ、少し捜し物を…」
「捜し物?」
「しおりなのですが…姉上が落としたと騒いで 」
そこまで言いかけてテオドアは口を閉ざした。
しおり捜しの発端は相変わらずの姉の無茶な命令だった。こちらの世界に遊びに来た際しおりを落としておいて、自分に捜せと急き立てたのだ。相変わらずの姉からの冷遇っぷりに少し情けなくなり、しおりを捜しているのです、ともう一度重要なところのみを復唱した。
「どんなやつっスか?」
「白金細工のしおりです。大きさや形は一般的なものですが、細工が凝っておりますからすぐ分かるはずなのですが…」
テオドアは眉を下げた。どこに落としたのか広範囲過ぎて検討がつかないのだ。主に仕事を任せられている姉に頼まれたとはいえ、案内人である自分もこちらに長く居過ぎるわけにはいかない。早く捜したいのだが姉であるエリザベスは自分同様、いや自分以上にこちらの世界に興味津々である。滅多に訪れない分、一度来るとあちらこちらにふらふらと移動してしまう。
捜せと命令された時にも心当たりを訊いてみたものの、行動した箇所が多すぎる上、思い出話を混ぜる度に話がずれ、最終的には「私のとても大切なものなのですよ、急ぎなさいテオ!」と叩き出された始末だ。
仕方がないので、一番近く、一度客人に案内をしてもらったことがあるポロニアンモールから捜索しているというわけだ。
そもそも実際にそのしおりを見たこともない。姉に説明されたままを順平に伝えただけだ。まぁ白銀細工のしおりなどその辺に落ちていることも滅多にないはずなので、それらしいしおりを見つけたらきっと正解だろう。
「オレ手伝うっスよ。えーと…とりあえず交番で落し物なかったか聞いてきますね」
順平は屈託無い笑顔を見せると、テオドアが声をかける間もなく奥の"交番"に行ってしまった。
…交番?
テオドアは首を傾げた。交番という存在は知っている。警察署の下部機構で、警察官の詰め所…のはずだ。だが何故落としたしおりと関係あるのだろうか。何か協力を得られるのか。テオドアには辞書的な知識しかなかった。
悩んでいると、首を振りながらすぐ順平が戻ってきた。
「落し物の届けなかったっスねぇ。一応届けられたら連絡してくれるよう頼んどきましたけど」
「ええっと…落し物は、その、交番に?」
「優しい人が拾ってくれれば…とりあえず心当たりの所を探しましょーよ」
「いえ、その…交番では警察官が落し物の管理を?」
「え?そりゃまぁ…落し物届けるっつったら交番だし…交番には警察官しかいないっスからねぇ…?」
「し、知っていますとも!あくまで…確認の意味で訊いたのです」
何故そんなことを訊くのかと首を傾げる順平にテオドアはコホンと咳払いしてから胸を張った。その様に順平は苦笑いした。前に会った時のやり取りで何となく理解したのだが、テオドアは教養がありそうに見えて、どこか浮世離れしている。それでいて妙にプライドが高いのかそれを絶対に認めない。まるで虚勢を張る、ませた子供のようなのだ。
見た目の印象と中身が釣り合わなくて笑う順平にテオドアは「何を笑っているのですか」と少し拗ねたように言うものだから、また順平は「何でもないっス」と言って笑う。堪えるように手の甲で口元を押さえる順平を少し恨めしげに見ていたテオドアだったが、ごく自然に協力を申し出たことが気になった。
「それより…良いのですか?手伝って頂いて。私の為に貴方の貴重なお時間を割くことになってしまいますが…」
「ンな大袈裟な。オレ暇人っスから」
それで心当たりは?と続けて言われて、手数をかけることを申し訳なく思ったテオドアも、言われるままに口にした。
「…心当たりですか。…港区なのは間違いなさそうなのですが…」
エリザベスは好奇心旺盛で、気になった物、気に入った物は大概手に入れる、つまり金遣いが荒い。金銭を出し入れした時にしおりを一緒に落としたと仮定すれば、広範囲ながらも絞ることは可能である。
「範囲を絞るならポロニアンモール、巌戸台駅、長鳴神社…あたりでしょうか」
「んー…広いっスね…、別々に 」
そこまで言って順平はテオドアをじっと見た。訝しげな眼に、何でしょうか?とテオドアが尋ねると順平は携帯を取り出した。
「いや…別れて連絡とるにしても、携帯持ってないとかテオさんならありそうだと思って…つか、知ってます?ケー・タ・イ」
「知っていますよ!携帯ぐらい私は!た、ただ…持っていないだけです…」
目の前で振られて、分かりやすく区切る物言いに無知だと言われているようで、カッとなって言い返す。しかし、持ってはいないのだ。使い方はもちろん知っていたとしても、持っていなければ話にならない。客人に連絡する時は相手の携帯に直接通信を送っており、こちらが携帯を使用している訳ではない。
「別々で探した方が効率良いけど…仕方ないっスね、一緒に探しましょ」
「う…、ポロニアンモールは大体探しましたが…」
「じゃあ巌戸台駅からか、ンじゃ行きましょテオさん」
先程から少し子供扱いされているようで何だか気に食わないが、その度に濁りが皆無なにっこりの笑顔付きなのでテオドアは文句を零せないまま順平の後ろをついて行く。
移動するだけでも、テオドアにとっては目に楽しく珍しい。キョロキョロとしては何かに目を奪われ足を止めるテオドアに、順平は好きにさせたり、周りを考えて腕を掴んで引いたりと操っていた。
…これでは、いつもと逆ではないですか。テオドアは他者に操縦されていることに妙な感覚を覚えた。
客人はしっかりしているようであり、どこか抜けていて不安なところがある。そのため手を引き、エスコートをしているのだが…この客人の友人には世話を焼かれているようで、くすぐったいというか恥ずかしいというか。初めての感覚に少しばかり戸惑っている。
ベルベットルームからタルタロスでの活動及び討伐は監視している。この少年のペルソナは確か幸運・裕福の神ヘルメスだ。ということはアルカナは魔術師…なるほど、道理で。未熟さと陽気、意思と努力が感じられる。この人当たりの良さも頷ける。
客人以外と並んで歩く。客人とは違う雰囲気、違う時間、違う視界、違う歩幅、違う匂い。テオドアは姉の恐喝による憂鬱を少し拭い去り、未知の感覚、時間を味わっていた。
巌戸台駅での捜索を開始してから二時間弱、駅だけでも多数の店があり、人がいる。ここに来るまでに捜索とテオドアの好奇心による寄り道で既に時間がかかっているだけに、さすがに二人に多少の疲労と失望の色が出てきた頃だった。
「ねぇなー…、テオさんそっちは?」
「ありません…」
「やっぱ、しおり探すには広すぎんな…あー…腹減ったぁ…」
「ふふ、少し休憩しましょうか。私が御馳走致します」
そう言ってテオドアは「オクトパシー」に順平を連れて行きベンチに座らせると、慣れた様子で商品を注文して運んできた。
「どうぞ"たこ焼き"ですよ、…例のアレをまた食べたと知ったら姉上にまた嫉妬されそうですが」
「なるほど…たこ焼きは知ってんスね」
「ええ、知っていますよ。いいですか、一口で食べると火傷する可能性がありますから気をつけてください」
「はいはい」
得意気な様子から一度食していることが分かる。あからさまな態度に順平は笑いながら、忠告通りふーふーと冷ましてからたこ焼きを頬張った。
「うーん、それにしても見つかんないっスねぇ」
もごもごと口の中でたこ焼きを転がしながら順平が空を仰ぐ。もう大分陽が傾いて、青と赤が混ざった空になっていた。
「大分時間も経ってしまいましたしね…疲れましたか?」
「このくらい平気っスよー、それなりに運動…的なことしてるっスから」
腕を振り上げる順平にテオドアは微笑み返した。運動、というのはタルタロスでの討伐のことだろう。それがたとえ、純粋な正義感だけでなく優越感や破壊衝動だとしても、誰にも知られずこの世を守っているということは賞賛に値する。客人も含め、その若く細く小さい身で。
「…にしても、さすがにオレらだけじゃ難しいっスよねぇ」
「光に反射する細工ですから…陽のあるうちに何とか見つけたいものですが…」
テオドアはしゅんと眉を下げ肩を落とした。このまま見つけられずにベルベットルームへと戻れば姉にどんな目に遭わされるか。主だって勝手な行動を良くは思わないだろうし、ああ考えただけでも頭痛がする。
端正な顔を歪ませ、何やら尋常じゃない悲壮感を漂わせているテオドアが順平は酷く可哀想に思えた。こう、老人の悲しげな背中と言おうか、外国人が迷子になっている様と言おうか。何だか放っておけないという気持ちを湧き起こさせられる。何としても見つけてあげたい、けれどどうすれば…そうグルグルと考え込んで、突然大声と共に顔を上げた。
「あ!強力な味方がいるじゃないっスか!」
「味方?」
「ちょっと寮までいいっスか?」
順平は残りのたこ焼きをはふはふと頬張って完食すると、立ち上がった。テオドアも味方と聞いて断るはずもなく、頷いて順平について行った。
モノレールを乗り継いで、閑静な住宅地を進むとレンガ造りの建物の前に到着した。順平はすぐ戻るんで、と言うと中に入ってしまった。残されたテオドアは大人しくドアに続く階段の横にそっと佇み、ふと寮を見上げた。
あの方が、お客人が住んでいる…、そう思うと何やら不思議な衝動に駆られる。ただの建築物にすらこんな感情を持つなんて初めてのことで、その妙なものを消すためにフルフルと首を振った。
悶々とテオドアが寮の入口で待っているとすぐに順平が出てきた。見ると足元に小さな仲間を連れている。
「貴方は…」
「ワン!」
「探し物っつったらコロマルの得意分野っスからね。ね、強力な味方でしょ?」
「なるほど…ええ、とても心強い味方です。どうか宜しくお願い致します」
あの時同様大人しくテオドアの前に座り込むコロマルに頭を下げお願いすると、ワン!と頼もしく返事を返した。
「ニオイが分かるもんとか持ってないっスか?」
「ニオイ…でしたら、私を」
「テオさん…の、っスか?」
「きっと大丈夫です、私と姉上は同じニオイがするはずです」
同じニオイ?と少し不思議がる順平にテオドアは微笑んだ。同じ香水でも使っているんだろうかと思いながらも順平はコロマルに合図する。コロマルはテオドアの足元に擦り寄り、鼻を数回ヒクヒクと動かした後、力強く一鳴きして先導し始めた。慌てて二人は後をついていく。
この世界でこちら側に来たことがある異世界の者はテオドアとエリザベスの二人だけだ。テオドアの思惑通りコロマルは真っ直ぐニオイの先に直進していく。コンクリートの道をカシャカシャと爪を鳴らしながら迷うことなく走り、そのうち見覚えのある光景が広がった。
「長鳴神社?」
先日このメンバーで半日過ごした場所に順平とテオドアは顔を見合わせた。その間にも軽やかに石段を駆け上がるコロマルだったが、その石段を見上げて順平はげんなりした。
「ちょ…、ここでこれはキツ過ぎるって…っ」
体力があるといえどもさすがに数時間捜し回った後の石段は足への負担が大きい。膝に手をつく順平を気遣いテオドアは背を支えながら歩を進めた。ちらりと見た空はもう青と赤が混ざる空から紫へと変わっており、陽の光も見えなくなっていた。
一段上るごとに息を吐き、ようやく上り終える頃には、コロマルが隅のベンチの傍で姿勢を低くしていた。鼻をヒクヒクと動かして探っていたコロマルが順平達の方を向いてワンワンと一際大きく鳴いた。
順平が少しよろけながらも駆けつけてコロマルの鼻の先を見ると、何か長方形の物体…陽が無くとも美しく映えているしおりが落ちていた。
「あった…!よくやったぞーコロマル!」
ようやく見つけたそれに感動も一入だった。順平はコロマルの頭を大きく撫でてから、その鼻先にあったしおりを拾い上げた。凝った細工、美しい光沢、コロマルが捜しあてたしおり、間違いないと確信があった。
「テオさん、これっスよね!?」
「ああ、それです…!よかった…これで姉上に叱られずに いえ、とにかく本当にありがとうございました」
まさに姉の説明通りの色、形のしおり。テオドアは深々と頭を下げて、受け取ったしおりを絹のハンカチに丁寧に包んで仕舞った。何故こんなところにあったのか見当もつかないが、汚れも傷もない状態で本当に良かったと息を吐いた。
「礼なら俺よりコロマルに言ってやってください」
「そうですね…本当にありがとうございます」
膝をついて頭を下げるテオドアにコロマルは尻尾を得意気に振ってみせた。
「では、貴方の寮までお送り致します」
テオドアは客人にするように紳士かつ優雅な仕草で手を差し出した。意思を計り兼ねてぽかんとする順平に、テオドアは手を差し出したまま微笑みかける。コロマルだったらお手だと思って手を乗せるだろうが、順平はそうもいかない。
この手を握れ…と?順平は目を丸くして、理解するのと同時に首を横に振った。
「いやいやいやっ大丈夫っスよ、近いし、コロマルもいるし、別に心配することは 」
「いえ、こんなに遅くまで付き合わせてしまいましたし…何より貴方は私の大切なお客人のご友人ですから」
丁重に扱わなければ、と順平の手を下から掬うように軽く握り、さぁ、とエスコートを始めた。
「え、ちょっと…!あの、女の子ならともかくオレは…」
「性別など関係ありませんよ、私がお送りしたいのですから」
「あー…いや、そんな堅く思わなくとも、もう友達ってことでいいんじゃあ…」
「ええ、大切なご友人ですよ。ああ、ここに段差がありますから足元に気をつけて下さいね」
テオドアの積極性に順平は思わず黙ってしまう。それから仕方なく手を引かれていたが、先程から女子高生や主婦の目が気になる…というか何やらヒソヒソ小声で話されている。女同士でも若干注目を浴びそうなのに、さすがに男同士で手を繋ぎ合っている姿は奇妙というか、気持ち悪いだろう。順平は第三者視点で考えられる分、物凄くいたたまれなくなった。
「あのぉ…テオさん」
「はい何でしょうか」
「周りの視線が痛いっつーか…恥ずかしいっつーか…」
「何も可笑しいことはしていません、気にしなければよいのです」
ああ、何て綺麗な笑顔。でも物凄く恥ずかしいです。気にします。隣をついて歩くコロマルに目をやると、眉を下げられて同じように困惑された。
女性だって日本じゃ中々こんな風にエスコートされ慣れないだろうに、男性である順平は更に違和感が尋常じゃない。せめて連れ去るぐらいに引っ張って行ってくれればいいものをにこやかな顔と完全な善意で丁寧に扱われると、手を振り解くのも悪いと思ってしまう。
弄られキャラが定着してしまっている順平にとって、こんな良い扱いを受けること自体あまりないことだ。その上、手をこんな風に握られるなんて何時ぶりだろうか、と順平は手袋越しの体温が妙にくすぐったく感じた。
「ほら、そんなに離れていては腕が疲れてしまいます。もっとこちらに近付いてください」
「……」
テオドアの態度に次第に順平は恥ずかしさとは別の感情が湧いてきた。この台詞、この行動、少しやり慣れていないだろうか。もしそうだとすれば、リーダーのことを思うと許せないじゃないか、と。たとえそれが無意識だろうと女ならば勘違いしてしまっても仕方のない行動で、罪な男なのではないか。
「あのぉ…テオさん」
「はい何でしょうか」
「アイツとは…どういう関係なんスか?」
「アイツ 私のお客人のことですね、…言葉通りですが」
「…ただの客?」
「ただの…とは語弊があります。私のお客人はあの方だけです、特別な…私のお客人です」
客、という響きにムッとした声で聞き返す順平にテオドアは少し照れたように、とても大切そうに言葉を返すものだから意表を突かれた。同時に想われている少女が羨ましくなった。
特別、か。順平は言葉の響きを噛みしめた。人一倍愛情に飢えている順平にとって何より重要な言葉だった。ただ交友関係が広いだけじゃなく、皆から深く愛されているなんて本当に羨ましい。
「なんつーか…その、アイツのこと大事にしてやってくださいね」
「当然です…ふふ」
「何スか、その笑いは」
「いえ、お客人はとても愛されて幸せだ、と思ったものですから」
「…アイツは本当に"特別"だからなぁ」
苦笑いする順平にテオドアは優しく微笑むと握る手に少し力を込めた。
「…、…」
相変わらず手を繋ぐ男達と横で従順に揃って歩く犬を周りは好奇な目で見ていたが、もう順平は俯いたまま黙って手を引かれていた。手袋越しの手が熱くなった気がしたが、それは順平自身の体温が上昇したからだった。
ああ、アイツと、リーダーと似てるんだ。この感じ。不思議ちゃんっつーか、いまいち掴めねぇっつーか、存在が別次元っつーか。その眼に見られると他人には分からない底まで見透かされるっつーか。何つーか…
オレはオレのままでいていいって思えるっつーか。
順平は俯いた顔を上げた。一歩進んだ先には自分より大きな背中。見た目も雰囲気もどこか不思議な感覚がするのに、どうしてか心地良かった。
その後きちんと寮まで送り届けられた順平だったが、話好きの奥様達の間ではその怪奇な光景を数日井戸端会議のネタとして使われたとか。
「あら、それは…まさか見つけてきたのですか?」
「ええ、この通りしおりはちゃんと捜し出してきましたよ」
ハンカチから白銀細工のしおりを丁寧に取り出すとエリザベスに手渡した。とても大切にしていたしおりだ、さぞ喜ぶだろうとテオドアは思ったのだが、礼の一言どころか、嬉しそうな表情すら見せない。むしろどことなく、がっかりしているような気さえするような…、エリザベスはそのしおりを手に取ると溜息を吐いた。
「貴方の目は節穴なのですか、テオ」
「え?」
「このしおりのどこが白銀ですか、どう見てもただのプラスチックでしょう」
「ええ!?」
エリザベスに渡したしおりを凝視する。デザインも凝っているし、一見見分けがつかないが確かに着色加工したプラスチック素材のようだ。だが、コロマルにニオイを辿ってもらった先にあったしおりだ。間違えているはずがないと思い込んでいた。
「しおりが見つからなくてあたふたとするテオを見た後、仕置きと称して色々しようと考えていたのに…本当につまらない」
「では姉上がわざと偽物のしおりを落としたのですか!?」
「当たり前です、貴方なら兎も角、この私が大切なしおりを落とすわけないでしょう。それにないものをあると言っていない優しさが分からないのですか」
「な、何を偉そうに…私がどれだけ捜し回ったとお思いなのですか?」
「その割にはたいして時間もかからず、しかも笑顔で戻ってきたではないですか」
「そ、それは…」
別に手を借りてはいけない、とは言われていないし不正行為というわけでもない。ただ自覚がなかったというのに笑顔で戻ってきたなどと指摘されて、言い淀むテオドアにエリザベスは詰め寄った。
「…お客人の手を借りたのですね、テオならやりそうなことです」
はは〜んと、エリザベスは目をスッと細めてテオドアを見遣った。テオドアには近付いた西洋人形のような端正な顔が悪戯に歪むように見えた。というより姉が企むような表情をする時はいつもろくな目に遭わない為、美しいだの端正だのと思うことはまずないのだが。
「たまたまお客人のご友人に出会ったので手を貸して頂いただけです…!そもそも姉上が悪戯などしなければこんな 」
「まぁテオ!楽しい時間を過ごせたのは誰のおかげですか、むしろ感謝してもらわなくては」
形の良い唇を吊り上げ、プラスチックのしおりをプラプラと振りながら回れ右をして奥へと入ってしまった。
テオドアはその後ろ姿を見送りながら深い深い溜め息を吐いた。しおりを捜した時はあんなに歩き回ったというのに、こんなに疲れはしなかった。隣にいる人物でこうも世界観や境遇が変わるものだろうか。
…本当に全く、何て自分勝手な姉だろうか。悪戯というには随分と性質が悪い、それにあれほど一生懸命手伝ってくれたお客人のご友人達に申し訳がない。
それにしても しおりを捜す時間は、お客人と過ごす時とはまた違った、心地良い時間だった。お客人とは終始ドキドキと高鳴る胸を抑えつつ、夢うつつな気分になる。先程は、そう、友人との一時と呼ぶのに相応しいものだった。友人なんていたことはないけれども。温かで、緩い雰囲気がとても気持ちの良い時間だった。
手の温もり、毛並みの感触を思い出して、姉の悪戯に遭ったというのに口元が緩んでしまう、そんな初めての体験をした。
「心遣いですかな、エリザベス」
主の声に振り返る。大きく開いた目に長い鼻、ぐぐっと引き上がった口。いつもと変わらないように見えるものの、どこか愛おしそうな顔をされているので、私は首を傾げた。
「何のことでしょうか」
「お客人と会う機会を与えてやるとは」
…どうやら主は私が弟の為にお客人と会う口実としてしおりをわざと捜しに行かせた、と思っているらしい。
「可愛い弟の為…そうお思いなら主の勘違いでございます」
「勘違い?」
「私、弟を愛しておりますが…喜ぶ表情よりも情けない表情に一層の愛おしさを感じるのでございます」
主に嘘などとんでもないので本心を伝えて微笑んでみる。が、主はいつものぐっと上げた口角を下げ、ぽかんとしておられた。
ああ、それにしても…まさかあのテオがたった一日で捜し出してくるとは。しかもあんなに充実しきった幸せそうな顔をして戻ってくるとは予想外だった。ボロボロの姿で涙目になって何も見つけられず戻ってきたところを嬲って遊ぼうと思っていたのに。
私にとってテオドアは可愛い弟、世話のかかる弟、そして何より一番の玩具だった。
「…次はマーガレット 姉上の"ヒスイのしおり"を無くして捜させるというのも面白いかもしれませんね」
ふふ、と思わず笑みが零れるのをみて、主が珍しく困った顔をしていた。その顔と次の惨事に遭うテオを想像して溜飲を下げるのだった。
fin.