分かったふりが好きだね
「チドリ。これ、絵描くもん揃えといたからなー」
「……」
目の前の男はにこにことベッドの横に置いている棚に、スケッチブックや色鉛筆を並べていた。
毎日毎日、飽きもしないで。他愛無い話をしては、またなと帰って行く。私と居ることの何が楽しいのだろうか。
順平と名のる男は私が目覚めた次の日に現れたと思ったら、目に涙をいっぱい溜めて私を見つめていた。
私の専属医らしき人物は、その男と隣に居た女を友達だと紹介した。そう言われても全くしっくりとこなかったが、記憶がないのでそうなのだろうと納得するしかなかった。
…馬鹿みたい。
男のクセに溢れた涙も抑えられないで、情けなく顔をクシャクシャにして大泣きして。
あんなに、喜んで。
やめて欲しかった。順平が笑う度に胸がつかえた気がした。ぐっとお腹のあたりが熱くなる感覚、息苦しくて息苦しくて堪らなかった。
苛々した。何か違和感が湧き上がる。何か、何か
この胸のつかえは何なのだろう。何かがズレている気がしてならない。ああ…疲れる。順平といると疲れてしまう。変に意識し、出て行った後は必ず深い溜息が出る。まるで息継ぎなしで泳ぎ続けたようだ。
「 あとな、チドリこのプリン好きだったろ?ホラあーん」
「っふざけないで…!」
「…!」
口元に近付けられた手を払うと、プリンがのったプラスッチックのスプーンが掛け布団に落ちた。
知らない、知らない!私はそんなもの食べた覚えなんか無い。
睨みつけると順平は一瞬呆然とし、それから困ったように笑って布団を拭き始めた。
「あ…アハハ、ほーんとチドリは照れ屋さんだなぁ」
…何よそれ。何で笑うの、何で許すの。
痛い、胸が痛い。苦しい。やめて。
怒って出て行けばいいじゃない。愛想尽かせばいいじゃない。
「じゃあ、置いとくから好きに食えよ。な?」
「……」
ああ、お願いだから放っておいてよ。
笑顔が痛い。これは何。
分からないのがまた苛々させる。
「チドリ?何…どーかしたか?」
「…何って…」
「何か雰囲気が暗ぇっつーか…」
「……」
「吉野千鳥はホントは明るい奴なんだろ?」
「…私は…」
順平は目線を合わせるように屈んだ。
「ほら、笑ってみ?笑うとすっげぇ可愛いんだからさぁ」
「…、…順平」
「ん?」
「分かったふりが好きだね」
思ったよりも冷たくて低い声が喉から出た。
順平の笑顔が消える。目を見開かせて言葉を詰まらせる。
「私のこと何でも知っているみたいに言うのね。私は貴方のことなんて何も知らないのに」
悪い夢は思い出さないほうがいいなんて、そんなこと言って。最初から知ってるような口きいて。
「貴方はただの友達なんでしょ。そんなに私に構わないで。余計なことしないで」
「チ、ドリ…」
「"友達"のもう一人の女の人は来ないじゃない。貴方は何で来るの、私の傍にいるの」
「あー…と…」
何とか口をもごもごさせて話を繋げようとしているらしかった。困ったように眉を下げて切なそうな顔をする。
「貴方、私が好きなの?」
「えっ…」
「私にはもう決めた人がいるから。記憶が抜けているからって馴れ馴れしく踏み込んでこないで」
「…チドリ」
「出て行って。貴方は、何も分かってない」
胸が痛いことなんて、貴方には分からない。
緩んだ涙腺から今にも零れそうな雫を止めているのを貴方は知らない。
私にだって、分からない。
「…知ってるぜ」
ふわりと
「笑った顔が一番可愛いの、オレ知ってんだよ」
そう言って順平は優しく笑った。
その顔を見たら、その声を聞いたら。瞳を覆った雫はもう止められなかった。
fin. 2007/11/26