触りたければ触れば
「何?私もう出なきゃいけないんだけど」
ダメだと思った。このまま放っておくのはダメだと思った。
目線の先にいるのはついこの間までと全く違う瞳の色をした同級生であり仲間であり、繊細だった女の子。
普段は好んで着ているピンク等の暖色系の服が顔に映っているのか血色の良い肌をしているが、今は寮を出て行く為に白のコートを羽織っていて、そのせいなのか陶器のような真っ白な顔をしていた。
いや、本当は今だとかじゃない。あの日からだ。約束したあの日からずっと。
だから、ダメだと思った。
「…は?何それ。別に私は執着なんかしてない。振り返ったりしてない。してちゃダメだって分かってる」
酷く哀しかった。
「そーいうの…迷惑なんだけど。余計なお世話だっての…ホント、ウザイ…ッ」
呆けていたような態度から、徐々に苛立ちを見せ始めて、興奮が混じってきた口調が荒くなってくる。冷たい視線が自分に突き刺さる。
それでも、ギリギリの脆さでその細い身体を震わせているのを見ると、ただただ何とかしてやりたくて。
「アンタいつもそうだよね、人の都合関係なしでさぁ…親切?同情?違うでしょ!ああ自分は優しいって…自己満足でしょ!!」
語尾と共に腕が伸ばされて、押すように襟首を掴まれた。急な衝撃で思わず脚がふらついたけど、何とか堪えた。
身体を支えられたことに腹を立てたのか、さらに体重をかけて身体をぶつけてくる。今は自分の意思通りにいかないとさらに癇に障るようだ。
次の激しい衝突でそのまま圧力に任せて、身体を後ろに倒す。怒るかもしれないと思ったけど、それでも押してくるガラスの塊を壊さないように抱きとめて。
「っ…」
「!」
強かにまず腰、そしてしなる様に頭が床に鈍い音と共に接触して、衝撃に身体が痛むと、後に脳が鈍痛を拾う。
被さっていたゆかりッチは一瞬目を丸くしていたけど、襟首のシワを増やすように掴み直すと、妙な角度で口角を上げて見下ろしてきた。
「何それ…アンタ、何されても黙ってるつもりなんだ?余裕ぶってさぁ慰めてくれるっての…?」
耳元に唇を寄せられて反射的に身体が反応した。
同級生で、仲間で、何より被さっているのは女の子だった。
鼓膜にかかる息は甘くて、どこか馬鹿にしたような感じがした。それでも何かしたくて、何もしてやれなくて。倒れるときに目の前の華奢な身体を抱えていたはずだった手はいつの間にか、床にダラリと寝ていた。
「慰められるのは彼だけ…アンタに出来る?代わりになれる?… 私達が何をしてたか、彼が何をしてくれたのか…知ってる?」
柔らかい唇を耳朶に感じた瞬間、チリっと痛みが走る。頭では、もしかして噛まれた?とか思ったけど、未熟な身体は情けないほどに跳ねた。
馬鹿にしたような笑みが一層濃くなって、上体を起こすと、白いコートに手をかけた。ボタンを外すとざっくりと胸の部分が開いたニット姿になる。
ゆかりッチが露出の派手な服を着るのには慣れている。けど、馬乗りの状態で白いコートにも負けないような透き通る肌、艶やかさはいっそ神々しくもあった。
ただ見上げて見つめるしかないオレに、微笑むというより歪ませた笑顔を近付ける。
「…教えてほしい?」
その強さも脆いくせに、そんなことアイツ以外にするわけないくせに。
爪まで綺麗にピンクのネイルで整えられた指をオレの指に絡ませて、開いた胸に触れるか触れないか、温度を感じれるか感じれないか程にもっていかれる。
「…触りたければ触れば?」
そう言われた。
自分の掌が急に汗ばんできたのが分かる。血管1本すら熱い。でも心は、心の深いところでは冷たい何かが染み渡っていく気がした。
「…ねぇ、アンタに出来る…?」
じわじわと立てられた爪が指に喰い込んだ。こうやって痛みを伝達出来れば、どんなにいいか。
ただそう強く思いながら、指の甘くて哀しい痛みを必死に感じた。
fin. 2008/02/01