お茶会
「何見てる」
「…オレ、なぁーんで真田サンなんかと一緒に茶ァすすってんだろ…」
「なんか、だと」
「ハァ…」
挽かれたコーヒー豆の香ばしさが部屋中に香っている。そのコーヒーに角砂糖をポンポンと2つ放り込んで荒くかき混ぜつつも、視線は真田をボンヤリと捉えていた。
もう一度すうっと息を吸うと、また順平は大げさに溜息をついた。
優雅なのはお茶セットだけで、コーヒーを飲む男二人は風情や趣なんて言葉も知らないであろう顔で、さらにはコーヒーの香りに包まれた部屋は、あちこちにトレーニングの機材が置かれている。薔薇の絵に金の細工がされているティーカップが不自然に空間に浮いていた。
「…美鶴に質の高いコーヒー豆を譲ってもらったから、たまにはお前とコーヒーでも飲みながらのんびり過ごそうという俺の好意がそんなに気に入らないか」
「いや…別に気に入らないとかじゃないんスけど」
「じゃあさっきから何だ。ジトジトした目で俺を見るな」
「んー…なんつーかさぁ…何でオレ、真田サンみたいな人とこーゆー関係なんかなぁって、しみじみ思っちゃって」
「だから、みたいって何だ」
「正直真田サンって外見はレベル高ぇけど、人として問題大アリじゃないっスかー」
「なんだと…ッ」
真田が声を多少荒げても順平は知らぬ顔で参ったという風に頬杖をつきながら淡々と語り続ける。
「自己中だし。我侭だし。つか普通に世界の中心自分とか思ってっし。常識無ぇし。筋肉バカだし。天然っつーかボケってっし。しかもそーいうの分かってねぇから素でやるし」
「…言いたい放題だな…」
「そもそも男だしなぁ。野郎相手に盛ってんのが意味分かんねぇよなぁ」
「……」
「青春を真田サンに捧げんのも何つーか…すっげえ無駄遣い?」
「…、…お前な 」
「まぁ、嫌じゃねぇから傍に居んですけどね」
「 …、…」
相変わらず淡々と、時折ズズーっとコーヒーを啜りながら順平は続ける。あまりの言い草に腹が立って、眉を引き上げながら襟元に掴みかかろうとした真田の手が最後の言葉で落ちた。普段こう振り回されているのは順平の方で、慣れていない真田は声を詰まらせながら口元に手を当てた。
「ンでもなぁ…やっぱ…女の子って良いっスよねぇ…」
淡々とした語りから夢見るように、うっとりした口調で呟いた。視線は斜め上を見つめて、今度は蕩けるように溜息をつく。
「女?」
「この間ラウンジにいたらアレが出てきたんスよ」
「アレ…?」
「人類の敵のアレっスよ。黒い…カサカサーのテカテカーってしてるアレ」
「…?、…ああ!ゴ 」
「あー!言わなくていいっスよ!わざわざ濁して説明してんスから!!」
声を張り上げながら、机を叩いて真田の口を閉じさせると、とにかく と話を切り替えた。
「それにビックリした風花が咄嗟にオレにしがみ付いてきたんスよねー…」
「へぇ…、ん…おい、しがみ付いたって…」
「すぐ『ごめんなさいっ』とか言って離れちゃったんスけど、やっぱ柔らけぇって思って…」
その情景を思い出したかのように順平の口元がだらしなく緩む。真田は呆れたような表情でそれを見つめた。
「おい…」
「肌質が違うんスかねぇ?あの、ふわぁってなって抱きしめたら折れちゃうよコレっていうの…やっぱいいっスよねぇ…女のコ」
斜め上を見つめた先に女性の真っ白くて弾力のある柔らかな肌を妄想する。いくら女性に引かれようが、妄想や空想、さらには夢を見るのは自由だ。
「…抱き心地はコロマルの方が良くないか?」
暫く経って、美しい理想の女性像を浮かべていた順平に、考え事をしているような素振りを見せていた真田が口を開いた。
「……そーいうとこが問題あるって気付かないっスか?」
真田は首を傾げる。抱くなら毛のボリュームがあって体温が高いコロマルの方が断然気持ち良いだろうと普通に思い、そこそこ真剣に考えた末の結論だったのだ。
順平は何度目かの溜息をつくと、ズズーっとコーヒーをまた一口啜った。
「オレは女の子の話をしてるんスよ。つか、比べる基準が可笑しいっしょ」
「どう違う?何を基準にしてだ?」
「…じゃあ、桐条先輩とコロマル。一緒に居たら抱きしめてみたいのは先輩でしょーが」
「俺はシンジ…もしくはお前だな。抱きしめると、上腕二等筋と胸板の締まり具合がよく分かる。あの硬さと弾力と吸い付く感じが 」
「……」
順平は角砂糖をもう一つコーヒーの中に放り込んだ。いつものことだ動じない、このくらい慣れている。というか慣れなければやっていけない。
カップを見る。残り三分の二というところか。まだ多い。会話が繋がらないことは前から知っていた、こんな男だけのお茶会はやはり自分達には向いていなさ過ぎたのだ。飲んだら寝てしまおう、そう決めた。
嫌ではない。言っている本人も何故か憎めないし、この空間も嫌いではなかった。でも話が通じるか、疲れないかは別だ。
全く可笑しな関係だ。あのコンビニで会ったことは偶然だったのか必然だったのか…こんなことになるとは。そもそもこの関係に至る真田の落し物論に丸め込まれたままでいいのだろうか。
落し物というのは普通届ける場所に届ければ分け前や報労金を貰ったり、引き取る権利が得られる。そして何故か順平は落し物扱いをされた。さらにその原理で真田は拾い主として順平を引き取った、イコール自分のモノだと主張する。
もちろん、当たり前にこの原理は警察に言っていない時点で適用されないどころか、むしろ落し物をそのまま持ち帰ってしまったようなもののため、俗に言うネコババしたと言う方が適している。そもそも、"人"なのだから、落し物じゃなく、せめて迷子とかになるんじゃないか、という疑問にも、順平は自信満々、至極当然のように真田に言われたため何とも言えず、意味分かんねぇのが真田サンだしなぁと思うだけで止まっていた。真田に関しては分かっていないのか確信犯なのかは不明である。
順平としてはどうでもいいのだが、拾ってもらったのは事実である。大きく言えば恩人とでも言おうか、刺激のない生活からも、嫌っていた父親からも抜け出させてくれたことには感謝していた。その分懐いていたのだが、こういう関係になるとまでは思わなかった。そもそもこの関係はとても微妙で、好きという台詞ひとつ聞く前に行為に至ってしまったものだから、順平は恋人ではないと考えていた。というよりも未だ男同士で至ってしまうなどということにプライドが許していなかった。
この関係一番近い言葉を使うならば正直セフレ、である。少なくとも順平はそう思っていた。しかし近いのであって正しいとは違う、言い表すことのできない関係。一緒に居ることが不思議と嫌じゃない。落ち着く。だから傍にいる。理由はそれで十分だと納得していた。
「聞いてるのか?」
言われて順平が顔を上げる。考え込んでいたことが、呆けていたと捉えられたようで、真田が不満そうな顔をしている。
「女か犬かで決めるなら、コロマルの方だな。確かに美鶴に興味が無いわけじゃないが、やはりコロマルには肉球だって足のしなやかな筋肉だってだな…」
「…、…まだその話してたんだ…」
そうですね、ととりあえず順平は頷いておいた。真田は自分の言動に何故か絶対の自信を持っているのでしつこくなると納得して話を切り上げるのがパターンだ。
それにしても犬にまで筋肉の話を絡ませるのか、本当に筋肉バカだと順平は思う。ドーピングプロテインは伊達じゃない。最近は肌が白いのもプロテインの粉の過剰摂取じゃないかと思い始めている。昔、蜜柑を食べ過ぎた人は肌が黄色みを帯びると聞いたこともある。まぁ、ある意味努力家だとは思う。
つくづく合わないよなぁオレら、ズズーとまた一口啜りながら思う。意見が一致したことと言えば夜の学校でテストを拝借しようとした時とナンパの時だ。そこが合うのが凄いと思うが、一緒に居れるんだから不思議だ。
「おい、何度呆ければ気が済む」
「っ!」
順平が首に衝撃を感じたと同時に目の前には外見だけは完璧の真田の顔が迫っていた。不機嫌そうな顔から視線を走らせると、真田の手が順平のシルバーネックレスのチェーンを掴んでいて、自分の方へと強く引っ張っていた。
話を聞いていないことに腹を立てているようで、何度もグイグイと引っ張られ、その度に腰が浮いた。
しかし思い返してみると、考えていたことが何故か全部真田絡みだと気付く。それにまた溜息をついた。真田のことを考えているうちに思い浮かべていた女の肌や風花の感触が思い出せなくなってきていることにも落ち込んだ。
「ちょっと…、もー…離して下さいよぉ…オレ、真田サンのこと考えてたんスよー?」
「!」
順平が素直に言うと、表情はそのままでスルスルとチェーンから手を離していった。頬でも染めれば可愛いものだが、真田は一間おいて「当然だな」と言ってのけた。
ただ、機嫌は直ったようで、目許が緩んでいる。
…改めてこう見れば…本当に整った顔をしていると順平は思う。というか本当に顔だけ。神様外見に重点置き過ぎ。
いつも口からは筋肉のことを始め訳の分からない文章が発せられているが、同じ男としても見惚れる造形美が腹の立つことに全て良くしてしまっているというか。それに光の加減によって煌く銀髪、自分よりも白い肌、甘美な声。どれをとっても…
いや、それで何故自分が受け入れる側なのか。
この綺麗な顔がグチャグチャに歪んだら。その声で喘いだら。その白い肌に酷い痕を残したら。そう考えると途端にゾクゾクとくる。自分も男なのだから、泣かせる側にも回りたいのは当然だ。男相手にというのが引っ掛かるが、そこはいつも苛めている奴に復讐という意味での興奮だと思い込む。
一度頼み込んで童貞を捨てさせてもらったときは、人のことを気にしている余裕はなかったし、無理にやったときはヨがる顔を拝む前に反撃された…物凄く酷く。あのことは思い出したくないぐらい、ちょっとしたトラウマになっている。
かと言って、頼み込んでヤらせてもらったのはその一度きり…後は問答無用の力技でいつの間にやら下にいる。
男同士での情事に頭では抵抗があるくせに、一度あられもない姿を想像してしまうと駄目だった。若さとは罪である、身体が熱を持ってきてしまっていた。
今なんか、機嫌が良さげだから頼めばヤらせてくれる、かも…?
じっと見つめる順平に、真田は何だと言いながら笑いかけてきている。
真田に回りくどいことを言っても無意味だ。ストレートに言わないと伝わらない。順平は少し冷めてきてしまった残りのコーヒーを味わうこともせずに一気飲みすると、強く真田を見据えた。
「真田サン…!抱かせてくださいっ」
拳を握り締め、見事に力強く言い放った。一瞬空気が固まったが、真田はすぐに顔を綻ばせた。
「ああ、なんだ。やっぱり男の筋肉の方がいいだろ?こう抱きしめた瞬間がな!ほら好きなだけ抱きしめていいぞ」
…まだ、その話…
順平の頭がガックリと落ちたが、ここでヘコたれていては真田と意思疎通など無理だと勢いよく頭を持ち上げる。
「ヤらせてください!!つーかオレにヤらせろ!!挿れさせろッ」
今度は真田の手を握り締めて、これでもかというぐらい単刀直入に言った。流石に真田もキョトンとした後、眉を怪訝そうに寄せた。
「お前が、俺に…?何馬鹿を言ってる」
「たまにはぁイイじゃないっスかぁ〜。ねー?」
「ヤれるもんならヤっていいぞ。ヤれるもんなら、な」
「真田サぁン…よーく考えて下さいよ、一般的に考えたらどう見たって真田サンが下っスよ?顔的に」
「何言ってる、それはお前の方だろ。そもそも世の中、弱肉強食なんだ。非力なお前は餌が妥当だ」
「何スかそれーーッ!!ンな野生ルール人間世界で通用して堪るかってのッ!この顔だけ!顔だけ侍ッ」
「…やれやれ、…それで?この俺の見てくれに欲情したのか」
握り締めたままにしていた順平の腕を真田がもう一方の手で掴む。
「誰の抱き心地がいいか…言ってみろ」
「…真田サン、つったら大人しくしててくれんスか?」
「ふん、女がどうとか言ってたのは何だ」
「当たり前っしょ!女の子と出来るんならとっくにしてるっスよ!オレだって可愛くて華奢な女の子とヤりたいっつーの!」
「あー…わかったわかった。誰にでも欲情するような淫らな身体に躾けたのは俺だからな。責任とってやる」
何か勘に障る言いかたをされて文句を言おうとすると、掴まれた腕を引っ張られて、順平が真田の顔を確認したときには2人の距離はほぼゼロに等しかった。
キョトンとする間もなく身体が逞しい腕に包まれる。明らかに腕の筋肉の付き方も胸板の厚みも違う。それは日々のトレーニングによって完璧に鍛え上げられた身体。
その腕に抱かれていると、何だか…何だか
「……萎え、たんスけど」
「何でだ?もうこんなチャンスは無いぞ」
「…いや、だって…」
…体格差あり過ぎだろ…
見た目では絞れている分、真田はスマートに見えるが、やはり直に触れると思い知らされる。順平も前にやっていた部活やタルタロスの成果でタンクトップが似合うほど、人並みかそれ以上に今は絞れているわけだが、肉の密度が違うというか、すでに骨格が負けているというか…
圧倒的に自分より強い相手を屈服させるのも快感かもしれないが、それ以上に、この身体と体力では…
オレ、腹上死するんじゃね…?
何だか男として泣けてきた順平は、抱き締められたまま項垂れた。
「あぁ…やっぱさぁ…何でオレ真田サンなんかとこんな関係保ってんだろ…」
「嫌じゃないからだろ?自分でそう言っただろ」
「嫌…じゃないんスけど…じゃあ何で…」
嫌じゃない。嫌じゃないってことは…好きってことなんじゃ?と順平の頭に一瞬浮かんだが、はぁ?オレが?という自分への疑問で消えた。
しかし順平は思う。
女の子は大好きである。確実に真田よりも。しかし順平は思ってしまう。拾われた自分が他のところにフラついたなら、拾った真田はどう思うだろうかと。いや、それ以前に自分にそんなことが出来るのだろうか。
まさか…飼われているのだろうか。だから懐いてしまうのだろうか。
記憶は薄れているが、暗闇の中でベソを掻いていた自分はまるで捨て犬のようだったに違いない。触れられた手が何よりも誰よりも温かかった記憶だけは鮮明に残っている。
嫌ではない。きっとそれでもいいと思っている。飼われていたとしても…むしろ傍に居る理由があることに安心しているのかもしれない。
居たいから、傍に居るのが不思議と心地良いから居る。それはあの時の温もりのせいなのかもしれない。
離れられないのは、自分なのかもしれない。
「やっぱり良いな。抱き心地」
「…そっスか」
首に顔を埋めてさらに順平は考える。
真田はどう思っているのだろうか。もし、この滅茶苦茶なお茶会が一緒にいたい理由だったとしたら…?
みんなで飲むのではなく、のんびりと二人でただいたかったのなら…?
そう思うのは自惚れすぎだろうか。
「気ィ変わったっス。真田サン」
「ん?」
「高ぇコーヒーなんて合わねぇ。真田サンは安モンで我慢してればいいっスよ」
強く抱き締め返すと、あの甘美な声で笑った。
その笑い声には酷く雄の音が含まれていた気がした。
fin. 2010.11.8