PERSONA3 TEXT

大人になるということ


 真田は時計を見た。時刻は約束の午後8時を40分過ぎており、そろそろ確認する度に時計が雪で濡れてしまうのを拭うのにも飽きてきた頃だった。

 携帯に電話してみるが繋がらない。とりあえずメールを送信した後、暫くして駅の方から走ってくる人影が見えた。ようやく待ち合わせた人物が来て、真田は久しぶりだと懐かしむより溜め息を吐いた。

「遅いぞ、順平」
「何言ってんすか、急に呼び出しといて。仕事帰りにそのまま来たんスよー?」

 明日休みだからよかったけど、と走ってきたためか息を少し乱しながら順平はぼやいた。

「お前携帯は?」
「え、あ…さっき充電切れちゃって」
「……とにかく腹が減った。何か食いに行くぞ」
「やったー!真田サンの奢りー!!」
「全くお前の厚かましさは変わらないな」

 元気よく笑う順平があの時のままで、少し真田は頬を緩ませた。

 営業マンらしい細身のスーツにコートを羽織っている姿は意外と順平に似合っていて、以前よりもシャープさが引き立っていた。見た目には高校時代とそれほど変わっていないものの、その顔には日々の疲労と社会を知ったそれが浮き出ている。

 もう10年、か。

 大人になってしまったと真田は思う。根本的には変わっていないはずなのに知識と経験は増え、良いも悪いも知り      …そして気付けばペルソナを召喚出来なくなっていた。

「こうやって会うの何時ぶりでしたっけ?」
「っと…3年ぶりぐらいか?電話で話しはしてるからあまり感じないが」
「何でまた急に?真田サンから会おうなんて珍しいじゃないっスか」
「…、…大きな仕事がとりあえず片付いたんだ」

 片付いた      確かにそうだ。怪奇事件やそれに関わることは終結した。

 だが、真田は顔を顰める。たくさんの悲しみがあった。救われない想いもあった。だが何より自分が大して力になれなかったことが悔やまれた。

 それでも終わった。終わってしまった。とても1人ではいられなかった。急に訪れた空白の時間のせいで後悔やら無念やらに潰されそうになってしまいそうで、何とか気を紛らわせたいと思った結果、最も親密な関係である順平に連絡をしていた。




「酒…オレもちょっとは飲めるようになったんスよ」

 小料理屋に入り、食前酒を片手に言う順平に真田は無理はしなくていいと気遣うが順平は首を横に振った。

 順平が酒嫌いだと真田は知っている。飲めないのではなく、飲まない。アルコール依存症である父親の影響で酒そのものを嫌悪しているようで、酒という単語を聞くだけで不機嫌になるほどだった。現在は順平の方から徐々に親との距離を縮めてはいるらしく、父親の飲酒量も減ってはきていると聞いたことがある。

「ほら、付き合いってのがあるし」

 そう言って苦笑いする順平に、ああこいつも知っていって大人になってしまうのかと真田は思った。そう考えると気が滅入る。真田が元メンバーの中で順平を呼んだのは単に呼びつけ易いというだけでなく、包容力や性格の純粋さが大きかった。

 特別課外活動部に入ったばかりの頃はムードメーカーとして場を明るくしていた反面、家庭環境の事情もあって精神的に脆い部分もあり余裕を無くしがちだった順平も、様々な経験で大きく成長した。天性の明るさと博愛主義はそのままに、事をしっかりと受け止める強さを持った。その順平といる安堵感はとても心地良いもので、それさえもこの先の経験で潰されてしまうじゃないかと真田の気が重くなる。

「俺といるときは気を遣う必要なんてないだろう?」

 仕事の人間関係上飲まなければいけなくて、やむなく酒を口にし始めたとはいえ、酒を口にする順平は前のように嫌な顔はしないが、飲む前に一瞬躊躇しているのを真田は知っている。注視してなければ分からない、きっと本人すら無意識にやっていることだろうが、酒を食い入るように見つめるとか、持つ手に一瞬力が入るとか。だから身体やこの先を心配してじっと見つめるその表情を見て順平は頭を掻いた。

「大丈夫っスよ、オレ絶対酔いませんから」

 少し笑顔に暗いものを帯びながらグラスをチン、と触れ合わせた。酔えないのだ、順平は。逆に気が張ってしまうのだろう。

「後の面倒を心配してるわけじゃない」
「…本当に大丈夫。つーか、実は真田サンとこうやって飲みたいと前から思ってたんスよね」

 少し大人びた顔で照れたように笑って、「あーお腹すいた」とか「冷めちゃうから食べましょーよー」とか誤魔化すように真田の手を急かした。




「ねぇ真田サン、…片付いた仕事って?」

 見ている側が微笑ましく思うほど幸せそうに料理を口に運んでいた順平がふとそう真田に問う。真田は不意を突かれて言葉を一瞬詰まらせたが冷静に答えた。

「最近騒がれていた事件…怪奇事件の諸々だ」
「ああ…あの      

 少し視線を宙に泳がせた後、頷きながら順平は料理に箸を伸ばそうとして、硬直した。「え、あれ、まさか」などと呟きながら暫く視線を落とし、ハッとしたようにその視線を真田の方に向けた。いやに真剣な眼差しだった。

「…何か、あったんじゃないんスか?あの時みたいな」

 含みを持たせた言い方。それは10年前の事件の真相を知っている者同士の会話だった。

  表裏反転死体(リバース) 事件の印象が強烈過ぎて霞みがちになってしまうが、綾凪市ではあの時のように無気力症も騒がれていた。もしかすると順平もそのニュースを知っていたかもしれない可能性がある。その為、真田はよく連絡をする順平(と言っても順平からがほとんどではあるが)ですら最近は必要最低限しか会話や連絡そのものをしなかった。尋ねられないようにする為だ。

 だが感付かれ、相対してしまうと否定のしようがなかった。だがそうであってもいいように真田は全てが終わった後でこうして会ったのだ。

「…ペルソナだ」

 その一言で伝わる内容を呟いた。途端順平は、真田サン…と呆れの色が濃い音を吐き、頭を押さえた。

「何で何も…」
「言ったところで何も出来ないからさ。いらん心配をかけてどうする」
「ちょっとは背負わせてくれても良かったんじゃないっスか?」

 恨みがましいような視線だった。だがあの事件で真田は頼り、甘えるわけにいかなかった、仲間だからこそだ。

 仲間内ではもう皆が知っていることだ、かつて世界を救った力はもう無い。

 何も出来ない歯痒さゆさだけを味あわせるなんて、ましてや警察でもない一般人には荷が重すぎる。心の支え?そんな泣き言を言う暇があるのなら少しでも働くさ。

 ペルソナは大人になると使えない、その事実を特別課外活動部のメンバーは知っている。実際に真偽を確かめるため桐条グループの研究下で集合させられ、身をもって実験したのだから。

 結果、成人したメンバーは全員ペルソナを召喚出来なかった。とはいうものの、結果論として召喚、及び適応能力が失われていた為に、扱えなくなるはっきりとした理由は分からないままだ。メンバー達のほとんどがそもそもこの10年間召喚はおろか、召喚器にすら触れていなかったのだ。その失われた機会こそが彼らが掴みとった平和の象徴そのものだったのだから。何時どの時点で使えなくなっていたのか、何かの切欠や共通の感覚、通常の者と選ばれた者とのラインなるものがあったのかどうかも分からない。それは桐条グループの科学的な検査や資料、研究等でも解析出来なかった。ただ現時点でペルソナを召喚出来る者と出来ない者の違いで唯一はっきりとしていることが成人しているか否かという点のみだった、それだけのことで、それだけが結論だった。

 一番早く召喚出来ないと気付いたのは、成人した後ペルソナを召喚しようとした真田だった。その時の絶望感を真田は忘れない。今まで自分の自信の一つとなっていたものが知らないうちになくなっていたのだ。それだけに頼る気は毛頭なかったが、使わざるを得ない場合、対ペルソナ使いにおいて対抗出来ない悔しさといったらなかった。ペルソナ特殊部隊を結成し、指揮は執っていたものの、自分の力では解決出来ず、誰かに頼らざるを得ないというのは。

 だからと言って薬に頼る真似だけは絶対にしたくなかった。友と同僚を蝕んだ毒薬だ。

 結局のところ、普通の人間として苦悩するしかなかった。

「でも一応片付いたんスよね?ペルソナ関係じゃあ結構大規模だったんでしょ?」
「…ああ。だが      
「何スか?」
「…いや終わったんだ、もう」
「全然終わったって顔じゃないっスよ」

 頬杖をついて話の続きを促すように見つめてくる順平に、真田は拳を握るしかなかった。

「終わったんだ…終わってたんだ、もう」

 真田が発した声は酷く悲痛なものになってしまっていて、握りしめて軋む革手袋に視線を落とした。

 昔無力さを痛感して力を求めたのに、鍛えて強くなったはずなのに。結局このざまだ。

「俺は、大したことは何も出来なかった。ペルソナが使えない俺一人の力なんて高が知れていた」

 真田は吐き捨てるように言い、視線だけでなく頭も下げた。

 力を込め握りしめる真田の拳を順平はノックするように指でトントン、と軽く叩いた。数回叩かれても真田は頭を上げられなかった。

「真田サンが教えてくれなかったからよく事件のこととか分かんねぇけどさぁ…」

 順平は指を引っ込めると、今度は空になったグラスの口を触り、軽く前後に傾けるようにゆらゆらと遊ばせながら、ゆっくりと話し始めた。

「オレらの代わりに何とか出来るペルソナ使いがいたわけっスよね」
「…ああ」
「そいつ等が今回解決したんですよね」
「…ああ」
「で、真田サンはどうしたんスか?」
「……指揮を執った。そのペルソナ使い達の…」

 どこか後ろめたげな声を出した真田と違い、順平はふぅん、と軽い声を出して頷いた。

「結局…出来る奴が出来ることをしただけじゃないスか」

 真田が順平を見る。順平も真田を見据えた。

「あの時も、オレ達しか出来なかったからやった、それだけだ」
「……」
「今回だってそう、真田サンは出来ることをした。それ以上の事は出来る奴がやった。一緒っスよ」

 あの時と変わらない柔らかい声、笑顔に真田は思わず目頭が熱くなる。また下を向いてしまった。声が出ず、胸まで熱くなる。けれども今まで身体を押しつぶす程に重かったものが、ほんの少しばかり軽くなった気がした。嬉しいとか救われたとかではない、ただ温かったのだ。

「参事官でペルソナ使いだった真田サンじゃなきゃ指揮なんて執れないでしょ。真田サンが出来る最善のことでしょそれって」

 同情などではなく、客観的事実を言う順平。真田は下げた頭を戻すが、眉も目尻も下がって情けない顔になってしまい、順平は珍しい真田の表情に少し驚いたが、また柔らかな表情に戻し言葉を続けた。

「まぁ、でも自分の目線からじゃ分からないからそうやって悩んじゃったり自分を酷評したりするんスよ」

 オレもそういうの昔あったし、と順平が恥ずかしげに笑い、それから少し真剣に真田の眼を見つめた。

「だから…そうやって苦しいときに、オレ達がいるんじゃないっスか」
「…ああ」
「こうやって何時でも、電車でも飛行機でも乗って飛んで行きますよ」

 そう肩を揺らして笑う順平に真田は何度も小さく頷くことしか出来なかった。揺れる肩は自分より華奢で、ワイシャツから覗く手首は自分より細くて、もっとずっと子供だと思っていた。頼もしくはなっていたが自分よりははるかに幼いと思っていた。




「あ、真田サン空っすね」

 順平は真田のグラスに気付いて、すいませーん、と店員に声をかけ生ビール2つを注文した。麻痺したような感覚が急激に戻り、真田は慌てて順平に声をかける。

「お前、大丈夫なのか?」
「1人酒させるわけにはいかないっしょ?付き合いますよ」

 そう言って順平は運ばれてきたジョッキを再度触れ合わせた。しかしそのまま飲まずに真田の方をじっと見つめるので、真田はビールを流し込む。それを見てから順平はジョッキに口をつけた。やっぱりほんのわずかに握る手に力が込められたのを見た。

「…良い大人になったな」
「そうスか?全然変わんねぇと思うけどなぁ」
「ああ、変わらずに歳をとってくれて良かった」

 歳をとり、経験し、大人になってしまう。それはもちろん無垢でいられなくなるということで、純粋であればあるほど窮屈な世界になってしまう。順平はもう無垢ではなかった、しかし良い大人になっていた。

 真田は一気にビールを呷った。ビールのすっきりとした苦みが喉を流れアルコールに少し胃が熱くなるのを感じる。久しぶりに酔ってみたいと薄らと思ったが、隣の順平に悪いと思って気をしっかり持った時だった。その隣から苦笑いが聞こえた。

「家、前の社宅のままでいいんスか?」
「え、ああ…いや、大丈夫だ酔わない、面倒はかけない」
「だーからぁ、かけてもいいんですって」

 順平は酒以上に酔った人間が嫌いなはずだった。それなのに随分と寛容的になっている。酒を飲み始めた切っ掛けと同じ理由なのだろうか。

「それも…付き合いってやつで慣れたのか」
「え…まぁ、慣れたって言えばそうっスけど…」

 少し首を傾けてから、さも当然のように言葉を口にした。

「どんな形でも、もうちょっと真田サンを甘やかしてもいいんじゃないかと思っただけっスよ」

 そうして今度は少し悪戯めいたように笑う。本当に色々と知った順平は少し狡くなったんじゃないかと真田は何だか酔いがいつもよりも格段に早く回る気がする頭で思った。

「だったらここの勘定はお前に頼もうか?」
「ええっ!?」

 真田もまた意地悪く返して順平の反応を楽しんだ。それくらいの狡さは真田だって持っている。

 …今日は、久しぶりに寒くない夜だ。そう、暖かい場所でアルコールを入れながら思うのは何だか可笑しなことだが、そんな言葉が真田に浮かんだ。




fin.

TSはP3のパラレルワールドという設定なんですけど、他のメンバーも、というか順平を出してみるとどうなるのかな、と。そもそもTSとP3は世界観とか設定とかが違っているのでかなり妙なことになっていますが。
ペルソナの概念自体1や2は相手に対して変わるもので、仮面を付け替える必要性がある思春期〜大人こそペルソナを生み出せるものだと思うのですが。3以降は"もう一人の自分"というのがかなり強くなってるんですよね。まぁペルソナ使いになる理由も1と2とそれ以外では違うので全て一緒には解釈出来ませんが。

内容的には、大人になったからといって人はあんまり変わるものじゃないけど、ちょっと成長とか周りの影響は受けてる、そんな感じ。でも現在の状況はかなり濁して書きましたが。
乾さんが天田説っていうのは個人的に納得してないので、真田が1人で頑張ってた風になっています。でも大した活躍が観れなかったのでこんな感じに。
2010/11/08

BACK