本当は
気付けばいつもアラヤ神社の前にいた。やるべきことは山ほどあるのに、無意識に思い出のこの場所に足が向かってしまうのだ。
もうここに皆と来ることはない。そう来る度に思い、切なさに鼻の奥がツンとするが、それでもこの地を踏みしめるのは、ここの匂いのせいだ。こちら側の世界でも匂いはあの日のままだった。
リサも淳も…栄吉も、皆自分のせいで危険な目に遭わせてしまった。だが、奴からは絶対皆守ってみせる、そう願った。そう誓った。
これ以上仲間は誰も傷付けたくはない。自分はどうなってもいいから、必ず
バサバサ、と羽音が静かな神社に響き渡った。赤い空を見上げると後ろから白い鳩が数羽一斉に飛び立っていった。
誰か来たのかと思い目を凝らして階段の方を見ると、夕陽によって照らされて、人影が長く伸びていた。
「… !!」
声に成らない叫びを無意識に上げ、目を見開いた。逃げるなり隠れるなりすれば良かった、それなのに懐かしさと恋しさと驚きが足を地に止めて離さなかった。
神社の階段を登ってきたのは…夕陽の光と相反する、青い髪の
「…?あっ…オメェ!あん時の!」
自分の姿を捉えて、驚いたように上げられた懐かしい声は、胸を打つのには十分過ぎた。
えい…き、ち
思わず唇が愛しい名前を形作る。ただ、幸いにも喉奥で音が潰れたおかげで声にならずに済んだ。
「や、恩人にオメェなんて言い方は失礼だよな」
あの時、間一髪で銃弾から守った栄吉には、恩人として認識されて、会えたことを嬉しそうに顔を綻ばせ、こちらに駆け寄ってくる。張り裂ける思いなど、栄吉は知る由も無い。
栄吉の長細い足が進められる度、距離が縮まる。栄吉が寄って来る。…会ったら駄目だ、関わったら駄目だ。
「引っ張られた一瞬しか見えなかったけどよ、俺ハッキリ覚えてんだ」
「…、…そうか」
目の前にまで迫られた。あの時は助けるのに必死で顔をよく見ていなかった。いや、それで良かったはずだった。なのに今目の前に栄吉がいる。見つめてしまったその顔は何も変わっていない。栄吉のままだ。
一緒にいたら流れてしまいそうで…無愛想に返事をして、そのまま去ろうとすると腕を掴まれた。
「…っ」
「ちょ…おいっ、礼ぐれぇ言わせてくれよっ、俺ホント感謝して…」
「…別に俺が勝手にやったことだ。礼を言われる筋合いは無い」
手を乱暴に振り払って足早に神社を出ようとすると、後ろから戸惑い、焦った声をかけられる。
「…、…別に…していない」
冷たくするのは辛かった。お前は、栄吉は…いや、こう考えるのだって駄目だ。ただ、皆を守ることだけを考えなければいけない。そうでないと…いけないんだ。
後ろからの声を必死に無視して、急いで階段の下に停めたバイクに跨った。しかし、エンジンをかけた瞬間ドンっと後部に振動がきた。
「へぇ…このバイク、オメェのだったんだな」
「…!」
振り返るとピッタリと引っ付かんばかりに栄吉が無遠慮に座っていた。この時ばかりは栄吉の厚かましさを呪うしかなかった。そして自分に関する記憶がどんどん栄吉の中に増えていくことに酷く焦りを感じていく。
「っ…な、降りろ…ッ」
「そー言うなよ。飯ぐれぇ奢らせてくれよ、な?漢として恩を仇で返すなんざぁ、出来ねぇんだよ」
「…い、いらない」
近い、近い。手を伸ばせばどうにでも、出来る距離。少し身体を寄せれば、その紫に色付いた唇に吸い付くことも出来る。
出来ないのは、してはいけないのは 俺の…罰か。
「あぁ…でも、寿司は勘弁な」
にこにこと笑いかけてくるその顔を見ることすら、きっと罪になるんだろう。一秒だって傍にいることすら。
でもそれは仕方が無いこと。自分が犯した罪。だから、罰を受けなければならない。大切な人間を危険に晒しているのは、自分の存在そのものだ。
「…頼むから…降りてくれ…」
「…何でだよ?何で関わるのを嫌がんだよ…、嫌なら何で助けたんだよ…?」
「…お前には関係ない。いいから降りろ……振り落とされたいのか」
「っ…!?この顔に傷付けようってのかよっ」
「 ッ!」
エンジンをかけると、落とされると聞いた栄吉が、咄嗟に俺の胴体に強くしがみついてきた。
細い細い腕が軽く食い込み、人の体温が直に伝わってくる。
身体が跳ねた。
耐えられるわけがない。こんな、こんな…、これも全て奴が仕組んでいるのだろうか。記憶を取り戻させようと、世界を壊そうと、また奴が遊んでいるのだろうか。そう思ってしまう程に心が痛む。
…栄吉…!
「…触るな、…降りろ…降りろッ!!」
「ッ…な、何だよ…ンな怒んなよ…」
「…、迷惑だ……ッ」
「…?…声、震えてるぜ?」
「…ッ怒っているからだ…!」
「だってよ…ッ、…オメェその面…、そんな面して…ッ」
自分でも顔が苦痛に歪んでいくのが分かった。分かるから余計に焦って苛立った。理由が言えたらどんなに楽か。でも第一にお前達を守りたいから、だから
本当は自分自身が誰よりも一緒に居たいと望んでいた。でもそのせいで世界に歪みをもたらせた。皆を、裏切った。
「なぁ…オメェは何で… 」
「お前は…、あの時俺が助けるのがあと少しでも遅れていたら死んでいたんだぞ…ッ」
きつく華奢な肩を掴んで訴えると、ビクンと栄吉の肩が震える。あの光景を、瞬間を思い出したのか、瞳が揺れて白い顔が更に白く、青ざめた。
「…ああいう思いをもう…したくないのなら、…二度と俺に近付くな」
「……」
栄吉はショックを受けたように顔を引き攣らせた。
ほら…、関わるから傷付けてしまったじゃないか。関わらなければ栄吉のこんな顔、見ずに済んだのに。
守りたい、ただ、それだけを抱いていたのに。
「……」
「……」
栄吉は顔を俯かせたまま、それでもバイクから降りなかった。俺はかける言葉が思いつかなくて、ただ降りろとしか言えなかった。
降りて欲しいのに、無理に引き摺り降ろすことだけはどうしても出来なくて、所在を失くした右手はいつも通りポケットに伸び、ジッポライターを探る。この冷たい感触だけは、昔とは違う。あのライターとは、違う。
軽い金属音をたて、静かな空間に響き渡る。
カチン
「…ッ、この、音…」
栄吉がハッとしたように顔を上げた。突然のことに思わず顔を見遣ると、瞳一杯に自分を見つめ、切羽詰ったように肩に手を置かれた。
「なぁ…オメェ…、前に、あん時よりも…もっと前に、会ってねぇか…?」
、 ッ!!
呼吸が一瞬可笑しくなった。
嬉しさ…?哀しさ…?体中が…指先まで熱くなる。
そんな風に言われることを最も恐れていたのに、思い出されることを恐れていたのに、なのに…なのに…なのに。
脳にまで達した熱は考える理性を焼き切った。
「なんか…今、一瞬その音聞いて…ああ…、なんか…」
「……」
「つか、オメェに…二度と近付くなって言われたら…なんか、悲しくて…辛ぇっつうか…なんか…、ずっと一緒にいたのに、急に…さよなら言われた…感じ」
ポツポツと言葉を絞り出す栄吉。その声は息が多く掠れていて、苦痛にも似ていた。
本当に辛そうで、それは全て俺のせいで。謝りたい。抱き締めたい。
「…ッ、…あ゛ー…何言ってんだ俺…、自分で言っててワケ、分かんね…」
「……知らないから辛いのと、知っているから辛いの…どちらの方がより辛いんだろうな…」
「…あ?」
この距離で、我慢出来るのにも限界がある。まるで…魅惑。
「…俺は、…本当に、悪い奴だ…」
更なる罪を重ねる俺は…
キョトンと間抜けな顔をしている栄吉の掴んだ肩を自分の方へグッと引き寄せる。そして頭の中で呼んだ。
ペルソナ…!
「 !あ……」
急なことに驚いた顔が、見る見る緩み、目を閉じた栄吉の身体から力が完全に抜け落ちる。支えの重心が無くなった身体はそのまま自分の方へともたれてきた。
もしかしたら一瞬、睡眠をかけるために出したペルソナが見えたかもしれない。でも仕方が無い、これ以上はもう、耐えられない。
「…栄吉…」
ようやく声に出すことが叶った名前を呼ぶ。無防備に眠る身体を強く抱き締めて。
「罰は…受ける、これからたくさん…だから、今は許してくれ…」
ほっそりとした顎を掴み顔を上に向け、その触れたかった誘う紫色の唇にほんの少しだけ重ね合わせた。抵抗できない、記憶の無い、栄吉に。
許してくれ、罪に罪を重ね続ける、愚かな自分を。罰は全て背負うから、この一瞬だけはどうか許してくれ。
こう言って逃げて、利己的なこの行為自体が許されないことなんだとしても。
「…っ」
栄吉の頬に水滴が垂れた。その水滴が自分の流した涙だと、二つ目の水滴が自分から落ちたのを見て、初めて気付いた。そして気付いたら、もう涙は止められなかった。
「…こんなに…逢いたかった…ッ」
日が沈むまでその痩躯を抱き締め続けた。
本当は、逢いたかった、哀しかった、辛かった、壊れそうだった…強がることで保っていた。
俺は…弱い。弱いんだ、栄吉…。だから忘れることも出来なかった。誘惑にだって、愛情にだって…負けそうになる。
だから
だから、涙で霞んで…栄吉の唇が、微かに
…タッちゃん…
と動いたのに、気付かなかった。
fin. 2007/01/28
2008/04/30 文章修正